覚書き

感じたことを書いとく

もう、会えない人のこと

我が家は長寿の家系のようで、ここ20年ほど新しい命を授かる機会はあったが

お葬式は無かった。

厳密に言えば、大叔母(祖母の妹)や大叔母の息子に当たる方が

亡くなってはいるのだが、近しい親族が亡くなることはない。

 

先日、友人が逝ってしまった。

とても急な「死」だった。

日曜日に「また来週ね」と別れて、家への帰り道の途中に倒れて、

そのままこちらには戻ってこなかった。

ご家族の話では心臓がもともと弱かったそうだ。

知らなかったよ。

 

ずっと変わらぬ日常が続く、そんなことはあり得ないって事実を

彼女の死で改めて気がついてしまった。

 

また、「後悔の無い人生」なども無いと思う。

今、出来ることを、自分の出来る範囲でやりながら生きるしかないのだ。

被写体になる、ということ

自分が写った写真を見るのは苦手だし、動画も勇気を出さなきゃ観ることが

出来ないんだけど、元彼が撮ってくれた写真は大事に残してる。

 

元彼が撮った写真に写るわたしはとても評判が良い。

自分でいうのも何だけど、ずいぶんべっぴんさんに撮れていると思うの。

あと、柔らかい印象で写っている。

撮る人によって、被写体の印象って変わるものなのかしらねぇ。

元彼はわたしをこんな風にみていたんだなぁ、と思いながら昔の写真を見る。

 

メンタルが弱すぎる・・・のか

些細なことで?ダメージを受けてしまう。

例えば友人から「my-gonって変!」と言われるとグッサリ刺さってしまうの。

言った友人は他人から「変わってる」とか「変!」と言われても

気にならないと言い、友人自身が気ならないから、わたしを「変!」と

言うんだろうなぁ。

わたしがダメージを受けてるなんてわからないんだろうなぁ。

 

実は自分の写真や動画も見るのは苦手。

だから見ないの。

自意識過剰なのか、メンタルが弱すぎるのか、はたまた脳内の自画像が現実より

美化されているのか・・・・。

 

責任を転嫁する人

自分の娘のことを「お姉ちゃん」と言ってしまう人が同僚にいるのだけど。

彼女は自分がミスをすると言い訳?で「my-gonさんが・・・」と

わたしの名前を言うの。

彼女宛できた書類を紛失したときも、彼女がチェックが漏れていたときも

わたしの名前を出してくる・・・。

わたしは別の部署で、彼女の仕事にはノータッチなのにねぇ。

 

思えば彼女と一緒に仕事をしてたとき、彼女が自分の娘を「お姉ちゃん」って

言ってるの、すごく違和感があって気持ちが悪かったんだよね。

責任を転嫁してくる彼女は、すごく気持ち悪い。

 

 

記事が書けないー。

タブレットで書いてるんだけど、ちっとも書けない。

映画見てすごく良かったから感想を書こうとしたんだけど書けない。

色々、技術的なことや感情のことがあって書けない。

もうね、ムキーってなるよね。

サクサクブログを更新したいよ。