覚書き

感じたことを書いとく

泣くんじゃねーよ

お金もらって働くんだから泣くんじゃねーよ。

勘違いしてるんじゃないの?

あんたの評価は、その団体に所属している、その団体の評価で

あんたの評価とは限らないんだよ。

あんたの実力は、その団体に所属したことでかさ上げされているかもしれないことを

意識していないと、いつまでも勘違いしたままだよ。

 

仕事中に泣くんじゃねーよ。

あんた20代のワカい子ちゃんじゃないんだから。

泣いてもみっともないだけだよ。

 

あとね、泣くとそれで発散されちゃうから。

泣いて満足した?慰めてもらうの?

 

あんたが認められるのは、泣かなくなったらじゃないかな。

ま、仲間内で甘やかされて泣いてなさいな。

WIMAX が快適すぎてびっくり

Y-moble から WIMAX に乗り換えてまだ数日しか経ってないんだけど

WIMAX が快適すぎてすごく嬉しい!

 

さっき、Excelのアップロードがあったんだけど、ものの数秒で終了して

びっくり。

え?こんなに早くていいの?って思ったの。

 

Y-moble は1分以上はかかっていたもん。

 

あと、動画がサクサクみれるのがうれしいー。

Y-moble はなかなか読み込まなくて、5分の音楽動画見るのに

10分かかったりしてたもん。

時間がかかる上に途中で止まっちゃったりしてたしね。

 

なんであんなに環境の悪いwifi 使ってたかっていうと、

わたしが住んでる部屋が住宅密集地にあるから、その関係で電波が入りづらい

んだと思ってたんだ。

 

Y-mobleは解約したから関係ないんだけど、機械の故障も多かったな。

 

あーホントに変えてよかった!

wifiを変えたよ

wifi を y-mobile から wimax に変えたの。

y-mobile は接続?機械?が変で、そっちゅうネットが落ちるのと

7G使うと1G使用する毎にロック?がかかって、いちいち解除するのが

えらく面倒くさかったんだよね。

継続するのを止めたのは、今回契約すると期間が3年に伸びるから。

3年は長いよー。

 

wimaxの使い心地が楽しみー。

その関係に「信頼」はあるか

わたしの周りには自分の知ってることや気がついたことを教えたがる人がいるの。

わざわざ忠告?してくる人もいる。

 

あの行為、なんだろね。

 

わたしは「教えて」とも「アドバイスが欲しいの」とも言っていないのに

彼らは伝えてくる。

「これが正しい」とか「それはおかしい」とか。

 

凸撃されるのってとてもへこんでしまう。

一方的で押しつけがましい彼らの行為は、たとえ根拠があっても

わたしは受け取ることが出来ない。

傷ついてしまうのだ。

彼らの行為を無視することも出来なくて、通り魔に襲われた、ぐらいの

被害者感情が沸いてきてしまう。

 

この前、親友(と思っていた人)にいきなり批判されて、動揺したわたしは

感情的に言い返してしまったの。

親友(と思っていた)は、開口一番に、彼女が気がついた点をわたしに伝えることが、正しい行為と思ったのかもしれないけど、

わたしは親友(と思っていた)の言葉や行為を受け取れなかったし、

そのことがあってから、関係がギクシャクしているの。

 

それで、どうして被害者感情を持ってしまうのか考えたんだけど

彼らとの関係性には「信頼」が培われていないから、ということに

気がついたら、ちょっとしっくりきたのだ。

 

信頼って重い言葉だと思う。

仲間内でつるんでいても、信頼していない子がいる。

わたしは親友を、心のどこかで信頼していなかったのかもしれない。

あんたにそれを言われる筋合いはない!って思ったもの。

身体が拒否反応を起こしてしまったの。

 

その一方で信頼している人からの言葉は、なぜかすっと身体に入っていく。

 

こうして書いてみると、『わたし』という人物は潔癖なのか頑なな考えを

持っているのね。

 

だけど、私自身の傾向を把握していれば、「アドバイス」という仮面を被った

凸突への対応法も考えられるんじゃないか、と思ったの。

 

そして、わたし自身も、頼まれない「アドバイス」をうっかりしないよう

気をつけよう。

 

親友(と思っていた)はアドバイスをすることで、わたしより優位に立とうと

していたのかしらね。

もう、会えない人のこと

我が家は長寿の家系のようで、ここ20年ほど新しい命を授かる機会はあったが

お葬式は無かった。

厳密に言えば、大叔母(祖母の妹)や大叔母の息子に当たる方が

亡くなってはいるのだが、近しい親族が亡くなることはない。

 

先日、友人が逝ってしまった。

とても急な「死」だった。

日曜日に「また来週ね」と別れて、家への帰り道の途中に倒れて、

そのままこちらには戻ってこなかった。

ご家族の話では心臓がもともと弱かったそうだ。

知らなかったよ。

 

ずっと変わらぬ日常が続く、そんなことはあり得ないって事実を

彼女の死で改めて気がついてしまった。

 

また、「後悔の無い人生」なども無いと思う。

今、出来ることを、自分の出来る範囲でやりながら生きるしかないのだ。

被写体になる、ということ

自分が写った写真を見るのは苦手だし、動画も勇気を出さなきゃ観ることが

出来ないんだけど、元彼が撮ってくれた写真は大事に残してる。

 

元彼が撮った写真に写るわたしはとても評判が良い。

自分でいうのも何だけど、ずいぶんべっぴんさんに撮れていると思うの。

あと、柔らかい印象で写っている。

撮る人によって、被写体の印象って変わるものなのかしらねぇ。

元彼はわたしをこんな風にみていたんだなぁ、と思いながら昔の写真を見る。

 

メンタルが弱すぎる・・・のか

些細なことで?ダメージを受けてしまう。

例えば友人から「my-gonって変!」と言われるとグッサリ刺さってしまうの。

言った友人は他人から「変わってる」とか「変!」と言われても

気にならないと言い、友人自身が気ならないから、わたしを「変!」と

言うんだろうなぁ。

わたしがダメージを受けてるなんてわからないんだろうなぁ。

 

実は自分の写真や動画も見るのは苦手。

だから見ないの。

自意識過剰なのか、メンタルが弱すぎるのか、はたまた脳内の自画像が現実より

美化されているのか・・・・。